第一街の屋台祭り

一街には大井神社があり、祭りは屋台を中心に行われます。上踊りでは、長唄(吉住会)の演奏に合わせて、花柳流の日本舞踊を踊る一流芸人たちが披露します。

4~9歳の子供たちも、厳しい稽古を経て屋台で踊りを披露し、必見の光景です。さらに、「地踊り」では、未就学児から中学生までが長唄に合わせて一街を踊り歩きます。

壱街の屋台は「連結屋台」と呼ばれ、参加者の連携で見事に動きます。

第二街の質素な屋台

島田の祭り屋台は、豪華な装飾がなく質素ですが、それには深い理由があります。町の長老が「踊り子の舞台だから飾りは不要」と言ったように、屋台の飾りは踊りの邪魔にならないように配慮されています。

第二街の屋台では、大井神社の女神様のお里帰りを祝って、子供たちの歌舞伎舞踊が奉納されます。

最終日には、神輿と共に地踊りが行列に加わり、町内や市内各所で踊りが披露され、屋台を曳き回す姿も見られます。舞台には「徳盛恩洪歳豊民楽とくさかんに おんおおきく としゆたかに たみたのしむ」という標題が掲げられ、祭りを楽しむことが奨励されています。

第三街の地踊り

第三街の祭りは島田大祭の余興としての位置付けになっております。その余興としての役割の中に第参街をはじめとする屋台部会の江戸時代からの祭りに江戸の一流芸人をお迎えをするという誇りが見えてくるかと思います。

屋台の上での上踊り、その振付、そして地踊り、それらを盛り上げるお囃子、その全ての中に当代一流芸人と言われる方々をお招きしての長唄をはじめとする上方芸人衆による競演が第参街をはじめとする屋台部会の誇りであります。

そして上方芸人にすれば島田の祭りに出て島田の屋台を勤め上げる事が一流芸人への登竜門であるといわれるようになったと伝えられています。

第四街の屋台踊り・地踊り

第四街は島田市中心の本通り四丁目、大川町、柳町の三町で構成されています。島田大祭では、屋台の引き回しや、子供たちによる日本舞踊の屋台踊り、青年や子供たちによる地踊りが披露されます。

屋台踊りは花柳流の舞で、屋台前で長唄に合わせた地踊りが行われ、総勢百人規模で踊ります。

演奏は東音会のメンバーによる唄、三味線、太鼓、鼓、笛のオーケストラが担当します。

第五街の地踊り

第五街では、大祭期間中、屋台踊りと地域の子供による地踊りが行われます。屋台踊りは、大祭の半年前から、地踊りは3カ月前から練習に励み、本番に披露されます。

屋台踊りは、踊り子(4歳から10歳)が屋台の舞台に立ち、東京から招かれた芸人の長唄や御囃子に合わせ華麗に舞います。鬘(かつら)は、鬘師により採寸されその踊り子のために作られ、衣装も東京から取り寄せられたものを着用します。

第五街の地踊りは、「元禄花見踊り」と「越後獅子」というものです。元禄花見踊りは、長唄のなかでは、もっともポピュラーな作品のひとつで、越後獅子は、芸をしながら一人旅をする少年を歌った曲です。

第六街の鹿島踊り

第六街は島田大祭で鹿島踊りを担当しており、六丁目と南町の住民で構成されています。鹿島踊りは約350年前の1673年、江戸時代の延宝年間に始まり、静岡県の指定無形文化財にもなっています。

この踊りは、島田宿に疫病が蔓延した際、大井神社境内に春日神社を祀り、疫病退散を願って踊りが始まりました。編成は、白丁、三番叟、鼓、ササラなどを含む約40人で構成され、特徴的なのは、踊り子が異なる型で同時に踊りながら後ろ向きに進むことです。

また、江戸時代には神社に行けない人々のため、細い路地を回りながら神様をお連れしお参りする風習もありました。

第七街の大名行列

第七街は大名行列や大奴を担当し、さまざまな衣装に身を包んで祭りを盛り上げます。

大奴及び大名行列は静岡県指定無形民俗文化財にも選ばれ、島田大祭が「日本三大奇祭」に選ばれたり、別名「帯まつり」とも呼ばれたりする所以(ゆえん)でもあると言われています。

島田大祭の大名行列
  • お先触
  • 長柄
  • 具足
  • 持筒
  • 御先騎
  • 槍持・片箱
  • 赤・黒鉄砲
  • お弓
  • 具足
  • 御先騎
  • 槍持・片箱
  • 大奴
  • 挟箱
  • 台傘
  • 大鳥毛
  • 赭熊
  • お唄方
  • お殿様
  • 葛篭馬(御梱馬)